ロボケアセンター | CYBERDYNEのHAL®を用いたリハビリ、機能回復支援センター

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脳梗塞や脳出血のリハビリ支援の事例 ~脳卒中(脳出血)患者の「声」~

【私の第2の人生の始まり】

定年退職まであと1年を残すところとなり、日常的に妻と旅行の話をしていた。
そんな矢先、いつものように出勤しようと玄関先で靴を履いて立とうとすると、目まいがし、目の前が真っ暗になる。妻も私の異変に気付いたのか、「大丈夫?」と声をかける。
しばらくじっとしていると症状は落ち着いたため、玄関を出て車へ向かった。
しかし、車の側まで来ると突然気分不良と身体の脱力感からその場に座り込んでしまった。
これはただ事ではないと思い、家の中にいる妻を呼ぼうとするが、呂律が回らず声も出ない。
「あ、あ、あ、・・・」。
身体の右半分は全く力が入らず、座っているのもままならなくなり、その場で倒れこんでしまう。
「あ、あ、あ・・・」とかすれた小さな声が出るばかりだった。
そうこうしていると妻が慌てて駆け寄ってくる姿が見え、安堵し意識を失った。

【過去の身体との決別】

再び意識が戻ると真っ白な空間に横たわっている自分に気づく。
口元にプラスチックの容器のようなものがつけられ、乾ききった風が口元に当たり、腕には点滴がつながっている。
のどの渇きを強く感じ、飲み物を取るため身体を起こそうとするが全くもって動かない。
何とか動く左手で布団をめくった。
しかし、右半身が全く動かない。
動かないというよりは、右手足の存在自体がはっきりしない。それなのに右側に絶対動かせないような重りがついているようだった。
何が起きたのかさっぱり分からない。混乱する思考の中、落ち着いて状況を整理しようとした。
朝出勤しようとして、車まで来て急に気分が悪くなり立っておれず、意識を失って・・・。
ということは、ここは病院のベッドか…。
混乱した思考の中、一つ一つ絡んだ糸をほどくように思考を整理していると、少しずつ状況が飲み込めた。
ちょうどその時、扉が開き看護師と思われる人が部屋に入ってきた。
その看護師に声をかけようとするが声にならない。
やっと出たと思った声は「あ、あ、あ・・・」と、か細くかすれた声だった。以前まで私が発していた自信に満ち溢れた力強い声とは異なり、声というよりは音といった方がしっくりくるようなか細くかすれた声だった。その声にもならない音に看護師は気づいてくれた。
「Aさん気付かれましたね。先生と奥さんを呼んできます」と言い部屋を出ていった。私は「飲み物をください」と伝えようとしたが、「あ、あ、あ…」というような声しか出ず、その思いは伝わらなかった。
妻と先生が来る間、私はどのように飲み物を飲みたいと伝えようかと考えていた。まあ、長年つれ添った妻だから言葉に出さなくても気づいてくれるだろうとその時はそんなに深く考えていなかった。
すぐに看護師と妻が来て、妻は私の右側に駆け寄り顔を覗き込み「あなた、わかる?」と目に涙を浮かべ不安そうな声で駆け寄ってきた。
私は、とっさに頷いた。
妻はその様子を見て安堵し肩をなでおろし、泣いていた。
その時、身体が少し揺れたように感じた。
しかし、なぜ身体が揺れたのかその時はわからなかった。
ふと頭を起こし自分身体を見ると妻が私の手を握っていたことに気付き驚いた。
私の身体はどうなったんだ?
視覚的に妻は確かに私の右手を握っている。しかし、右手からは感じるはずの妻の手のぬくもりや柔らかさ、しがみつくように握っているはずの妻の力を全く感じないのである。
とにかく、不安そうにしている妻をなだめるため、「俺は生きているよ」という意味を込めてポンポンと妻の手に自分の左手を添えた。
それと同時に自分の抱えている混乱について確認するため、自分の右手の状態を探った。確かにそこには手が存在する。
「妻の手と…、うんっ?」
女性である妻の腕とは明らかに異なる、体毛が生えているごつごつとした男性の腕がそこにあった。
「これが私の腕?」
だが、全く自分の手のように感じない。
その時、先生と呼ばれる人が部屋に入ってきた。「Aさん意識回復されたんですね。お加減いかがですか?」と問いかけられた。
私は例の「あ、あ、あ・・・」と声にならない音で「私の身体はどうなってしまったんですか?」と問いかけた。
先生は、「ああ、やっぱり失語症があるねえ」というと、さらに「少しお身体の状態を診ますね、触られたら左手を挙げてもらっていいですか?」と言った。
その他にも私の身体について手際よくいくつか検査をし、看護師に指示を出していた。
そして、先生と呼ばれる人は、私に病状について説明しだした。
「Aさんは脳の血管が破れる脳出血という病気で倒れ、右片麻痺と失語症の障害があります。発見されるのが遅かったら助かっていませんよ。奥さんがすぐに救急車を呼んでくれたので助かったんです。現在、状態は落ち着ていますが、しばらくは入院・加療が必要です。状態が落ち着けば、リハビリも進めていくので頑張ってくださいね。詳細は奥さんにお話ししておきましたので、聞いてください。」と慣れた様子に淡々とした声のトーンで要点を伝え部屋を出て行った。
私は、この先生と呼ばれる今現在私の身体の状況について最もよく知っていると思われる人に多くのことを聞きたかった。
しかし、聞くことができない。それはのどの渇きのせいではない。先生が言っていた「失語症」と呼ばれるものと、私の思考の混乱、不安によるものであった。

【現実との対峙】

状態が落ち着き、リハビリが開始された。
リハビリの担当の先生は3名で、いずれも20代~30代の若い方だったがどの方もとても物腰が柔らかく、好感が持てる人達だった。はじめ、ベッド上で血圧を管理しながら体を起こす練習や関節を動かす練習をしていき、その後、寝返りの練習、座る練習、飲み物や食べ物を飲み込む練習、言葉を発する練習など私の障害に合わせたリハビリは進んでいった。
リハビリの中でもそうだが、入院中私が最もストレスに感じていたことは言葉が出ないことである。人の話は分かるが、自分が伝えたいことが言葉にならない。このことは私だけではなく、家族を憂鬱にした。
言葉以外にも入院中、麻痺のため日常生活動作のほとんどを看護師の方や介護士の方に手伝ってもらわないと自分で行うことができなかった。
特にトイレは、はじめ尿道に管を入れられ便も寝た状態でおむつ内にしなければならなく、かなり抵抗があった。また、食事に関しても飲み込もうとするとむせるため、とろみ食と呼ばれるドロッとした感じの食事が出されることになった。これはお世辞にもおいしいとは言えなかった。生きている心地がしない、まさしくそんな感じだった。
しばらくすると、トイレは管も外され通常のトイレで可能になり、食事についても小さいながらも形があるものを食べることを許され、少しずつ人の生活に近づいて行っていることを実感した。
リハビリはとてもきつかった。ただ、妻やリハビリの先生方のフォローもあり何とかこなしていくことができた。
ある程度簡単な言葉が出るようになったとき、私は当初より聞いてみたかったことをリハビリの先生に聞いてみた。
「わた・しの・びょう・きは・なおり・ます・か?」
その質問を投げかけた時、リハビリの先生の表情が曇った。
返事に関しても曖昧な返事だった。その時の返答内容で記憶していることは、「詳しくは先生(お医者さん)に聞いてみてください」という事だけだった。
そこで私は、定期的にある回診で私はドクターの先生に同じ質問を投げかけてみた。
「Aさんの病気は完全に良くなるということはありません。言葉はだいぶ出てくるようになっており、もう少し改善すると思います。右手や右脚につては、病前のように動かせるようになることはないです。立ったり座ったり、歩いたりといった日常の基本的な動作については杖などの補助具を使用すればある程度できるようになるかもしれませんが、基本的に麻痺については完全には良くはなりません。この病気はそういったものなのです。とにかく、自宅での日常生活を送るための動作ができることを目標にしてください。」
私の疑問は解決された。それと同時に、希望も打ち砕かれた。私は、この時初めて自分の病状を把握した。
後からわかったことだが、妻は私が倒れたころにドクターの先生から同じように内容を聞いて知っていたようだが、私のことを思って黙っていたようだった。
とてもショックだった。それと同時に不安が一気に襲ってきた。
「私はずっと入院していなければいけないのだろうか?」そう考えていると、そのことを悟ったのか、先生が基本的な日常生活の動作ができるようになったら退院できますからね。この調子だとあと3ヶ月ぐらいですかね。この時、私の入院からすでに2ヶ月が過ぎていた。
この話を聞いた日はショックで何もする気になれなかった。夜も時折、看護師の方がナースコールで呼ばれてパタパタと駆け足で部屋へ向かう足音を聞きながら、「私はもう二度とあのような軽快でリズミカルな足音を立てて歩いたり、走ったりできないのかぁ。」と深いため息をついた。

【長いトンネル、少しの光、そしてまたトンネル】

妻をはじめ家族からの励ましの声もあり、私は少しずつ気持ちを切り替え、とにかくできることを1つでも増やそうと考えられるようになった。
特に言葉を話すことについては当初からするとかなり上達し、人に自分の意志を伝えることに関して問題ないレベルになった。
また、寝返りや起き上がりについては、左側からベッド柵を左手で引っ張るようにすれば一人でできるようになり、立ち上がりに関しても左側のベッド柵や手すりを持てば一人で立てるようになった。
長いトンネルを抜け、出口の光が差し込む感覚だった。
しかし、それと同時にまた次の問題が浮上してきた。
自分の右手足については全く分からない。
そのため、私は立っている時は常に片脚で立っているような感覚だった。この感覚もリハビリを継続していく中で改善していくものだと信じていた。
ただ、立てるようになり平行棒内での歩行練習に移ると、まず恐怖心との戦いだった。
右足が床に接しているか分からないため、常に足元を見ながら自分の体重を乗せても大丈夫なのか、恐る恐る体重を乗せる。すると、カクンッと膝がロックされ足は一本の棒、腰はへっぴり腰になった。だが、この状態であれば少しの間、右脚で身体を支え、左脚を前に出すことができた。
リハビリの先生からは、もう少し右側に体重をかけるよう指示されるが、一度膝がガクッと曲がって倒れそうになってからは、その勇気が出ない。
そんな時状況を察して、リハビリの先生は私の右側に立ち、やさしい声で「私が支えるので大丈夫ですよ」と声をかけてくれた。
私には身体を支えられている感覚はないため、その声が私の身体を支えてくれているように感じた。

【久しぶりの我が家】

本当に多くの人に支えられ、私の入院生活は過ぎていった。
入院から5ヶ月経ち、夏のジリジリと焦げ付きそうな日差しが入り込むリハビリ室で私はほぼ毎日リハビリをしていた。
その日もいつものようにリハビリをしていると先生から「Aさんそろそろ家庭訪問をしませんか?」という話があった。
私は、「かてい・ほうもん?」とその言葉のイメージがわかずにいた。
それを察して、リハビリの先生が「歩行も杖をつけば歩けるようになりましたし、だいたいの日常生活動作ができるようになったので、実際にAさんのご自宅内に一緒に行って、生活する上で何か問題になるような事がないかを確認しに行くんですよ」と教えてくれた。
他人から自分の家を見られるのはいささか抵抗があるが、もう気心知れたリハビリの先生の提案なので断る理由もないと思い、「おね・がい・しま・す」といった。
家庭訪問当日、自宅に到着し久しぶりの我が家に感慨深いものを感じたのもつかの間、玄関先の敷居に躓き、転びそうになった。
今までは全く意識したことがない敷居や、段差、扉の開き方などこれが我が家なのか。こんなに住みにくかったのかと感じた。
ただ、いつもの私の定位置だったリビングのソファーに座ると気持ちが落ち着き、改めて我が家の心地よさを感じた。
この家庭訪問では、私に2つの気持ちを呼び起こさせた。
1つ目は、やっぱり早く家に帰りたい。2つ目は、この状態で本当に家に帰れるのだろうか?という不安である。この気持ちは、一見当たり前の気持ちだが、相反するもので私は悩んだ。
ただ、良い意味でも悪い意味でもこの家庭訪問を機に私の周りが大きく動くことになった。

【退院までのカウントダウン】

ドクターの先生、リハビリの先生、メディカルソーシャルワーカーの方などその他にも色々な専門家の方から妻に話があり、その内容を妻伝いに聞いた。話を聞く中で「退院後もリハビリはできるのだろうか?」「私はどこまでよくなるのだろうか?」という2点が特に不安だった。
そして、退院前のカンファレンスと呼ばれる話し合いの場については私も同席した。ただ、話し合いというよりもすでに決まったことを確認するだけの話し合いのように感じた。
一応私に確認はとっているが、介護保険制度でのサービスを利用することなど、脳出血で倒れたのは初めてのことだったためよくわからない部分も多く、返答に困りとりあえず了承するしかなかった。
私が気になったのは、デイケアでのリハビリのことだった。入院中のリハビリとは違い、時間も少なく自分である程度やっていかないといけないという事を聞いていた。私は、自分でどうやって進めていったらいいのかとても不安だった。

【不安の的中そして希望の消失】

退院後、不安を抱えつつも初めてデイケアに行った。
そこには本当に様々な高齢者人がいた。一見して、私のように麻痺があるような方もいれば何の問題もなさそうな人もいた。
私の大きな不安の一つでもあったリハビリの内容は、入院中に実施していた内容があったが質も量も正直私が望むレベルのものではなかった。
入院中に伝えられていたとはいえ、やはり物足りなさを感じていた。しかし、それもしばらくするとその状況に慣れ、身体機能を維持することが目的のようになっていた。当初、「自分はここにいる人たちとは違う。リハビリを頑張ってもっと歩き方の改善やまた右手が使えるようになって、妻と念願の旅行に行くんだ。」という気持ちも自然と薄れていっていた。

【一筋の希望の光】

徐々に退院後の生活に良い言い方をすれば「慣れ」、悪い言い方をすれば「諦め」のようなものを感じながら日々が過ぎ、私が倒れてから約2年が過ぎようとしていた頃。
妻から「あなた、これを見てみて」と自宅のパソコンを見るよう促された。
そこには、足に何かの機械を装着した男性が立っている写真が目に入ってきた。
「これは何だ?」と思い詳細を見ていくと、身体機能の低下や脳卒中(脳梗塞や脳出血などの脳血管疾患)、脊髄損傷などによる後遺症により、自力で立ったり、座ったり、歩いたり、腕を動かしたりすることが難しくなった方に対して、HAL®を装着して脳神経を賦活化し、脳神経・筋系の機能向上を促すことが可能とあった。
私は、「これだ!」と思い。一筋の希望の光を見た。
すぐにCYBERDYNE社へ問い合わせをすると、自宅より通える北九州ロボケアセンターを紹介され、まずはそこでロボットスーツの装着も踏まえたHALFIT®︎というリハビリを体験させてもらうこととなった。
場所としては、自宅から近い北九州ロボケアセンターへ行くこととなった。
実際に行ってみると、北九州ロボケアセンターは医療系の専門学校の中にあり、その専門学校の教員である理学療法士の先生と作業療法士の先生が在籍していた。
保険を利用してのリハビリではないため高額な料金がかかるが、私がここでリハビリを実施していくことを決めた理由はマンツーマンでみっちり1時間対応してくれること、私の心の声に耳を傾け真摯に受け止め、その声に応えてくれるからである。
具体的に言うと、まずどうなりたいかを聞き、その可能性について最初から否定することなく真剣に考え取り組もうとしてくれること。
そして今まで受けてきたリハビリとは、全く異なるように感じた。それは、私の身体について適切な問いかけをし、私自身に私の身体がどうなっているのかを気づかせてくれることにあった。その中で、HAL®︎はとても頼もしい相棒であった。
北九州ロボケアセンターへ来た当初、私の右手足は全く動かないわけではないが、思い通りに動く状態とは程遠かった。
右手は勝手に力が入ってしまい、肘・手首・指などは曲がりっぱなしである。歩行も杖を突いてゆっくりであれば可能だが、右足も常に力が入っているようで歩行中は棒のようになっており、常に足元を見ていないと不安でしょうがなかった。
このような状態から先生は、私をベッドに寝かせ身体がどうなっているか問いかけてきた。
右手足についてはほとんどわからなかったが、右のお尻や肩甲骨あたりについては意識を向けると分かることに気がついた。このことは、一見して当たり前のことだが、私にとっては大きな発見であった。
その証拠に以前までのベッドに寝ていた感覚が大きく変わったのである。
例えていうなら、不安定なシングルベッドの半分の広さで寝ていた状態から、安定したちゃんと一人分の広さがあるシングルベッドで寝ている感じとなった。
さらに、不思議と今まで曲がっていた右肘や手首、指の関節が伸びてきた。

【北九州ロボケアセンターでのリハビリ】

北九州ロボケアセンターでのリハビリはとにかく先生とのやり取りが多い。それは言語的なものはもちろんだが、私のように言葉が出にくいものにも「はい」「いいえ]で答えられる質問にしてくれたり、非言語的なコミュニケーションで答えられるようにしてくれたり、私の心の声を察してくれた。
私の大きな課題として不必要な力が身体に入ってしまい動きを邪魔してしまっていることがあった。
先生はまず麻痺側ではない左側の手で肘の曲げ伸ばしの運動などをして動かす感覚に意識を向け、その感じを覚えるように指示した。
そして、そこから単関節タイプのHAL®︎を私の右肘に装着し、装着している部位以外に力が入らないことと、左側で動かしたように必要最小限の力を入れて肘の曲げ伸ばしの運動をするよう指示した。
この課題をHAL®︎装着なしで行うと、ほんの少ししか動かせず、それ以上力を入れるようとすると指や手首まで曲がってしまった。しかし、HAL®︎を装着することで指や手首に不必要な力を入れずに伸ばしたまま肘を曲げ伸ばしすることができた。
この時、先生が「右腕は重いですか?軽いですか?」と聞いてくれることで、私は自然と自分の右手に意識を向けることができ、久しぶりに自分の右腕の重さを感じるとともに右腕の存在を知ることが出来た。そして、北九州ロボケアセンター来所当初は自分の意志でほとんど腕を動かすことが出来なかったが、現在では介護用の箸を使用してだが食事をとれるようになった。

【ここまで読んでくださった方へ】

私は決して北九州ロボケアセンターの回し者ではない(笑)。
ただ、常に私の心の声に耳を傾け、的確なアドバイスをくれる北九州ロボケアセンターの先生の声を感謝の意を込めてまとめてみた。
現在、自分が受けているリハビリに疑問を抱えている方や私のような境遇におかれている方に次に記す「北九州ロボケアセンターから脳卒中(脳出血・脳梗塞)の方へお願い」是非読んでいただき、可能性を見出していただければと思う。

【北九州ロボケアセンターから脳卒中(脳出血・脳梗塞)の方へお願い】

身体を動かすだけでは不十分です。HAL®︎を使用することで今まで動かなかった身体が動くかもしれません。しかし、感じるために動くことが必要です。
HAL®︎は自分の意志に合わせて動くことを助けてくれます。
運動というのは、自分自身あるいは外の世界を知るためのものです。
大きな力を要する運動、すばやく大きな移動を要するような運動の練習はあまり役に立ちません。特に脳卒中になった方にとっては。
脳卒中の方の治療において対象とするターゲットは脳です。※注)
脳は、あなたが世界を知ろうとして運動したときに最も活性化します。
ですから、あなたは動きを「感じる」練習に集中してください。
動きの補助はHAL®︎がしてくれます。
感じるために注意が必要となればなるほど、脳の関わり方が大きくなります。
自分の運動や対象物との接触に、いつでも最大限の注意を払ってください。
目を閉じて身体を動かしてみるのも一つの方法です。
そして対象物と触れる際は、特に重量を意識してください。
あなたの身体やその部位にも重量があります。
座っている状態で、あるいは立っている状態で、自分の腕、自分の脚、自分の体幹、自分の身体全体の重量を感じる練習をしてみてください。
例えば重量が身体の左側と右側に対称に配分されているかどうか感じてみてください。
いろいろな運動を行ったとき重量が身体内でどう変化するかも感じてみてください。
誰か他の人にあなたの身体を動かしてもらうのも良いかもしれません。
そうして、あなたは目を閉じて、自分の身体がどう動いたか、あるいは自分の身体に触れた対象物の特性を感じるために脳を使ってください。
運動を始める前に、自分が行おうとしている運動について考えてみてください。
自分の身体がどうなるかを考えてみてください。
身体から、あるいは対象物からどういう情報を得ることになるのかを推測してみてください。
そして運動を行った後で、事前に自分が予測したものと実際に感じたものが合致しているかどうかを考えてみてください。
自分の身体が動く感じを脳の中でイメージしてみてください。
以上の規則を守ると、最初はゆっくりとしか動けなくなりますが、それは心配には及びません。
規則を守れば、自分の運動を前より上手にコントロールすることができるはずです。
そして、もっと早く動けるようになります。

※)ロボケアセンターでは治療行為は行なっていません。

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